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なぜ武道家が医を伝えるのか?

34,5年前、大阪北浜で武道の道場を開きました。
そこに求めたのは「本気・本当に」です。
そのおかげで、全員生傷が絶えませんでした。
痛みの為に稽古が出来なくなる。

そんな時、ふと「私にどこが痛いのか言って」と口から出たのです。
弟子の一人が笑いながら「胸が痛い」と何度か私に向かって口にしました。
すると、「あれっ、痛みが取れました」となったのです。

これが「関係性」という目に見えないものを、私が重要視するようになった入り口です。

武道には「気合術」というのがあり、気合で相手を制する術があります。
もちろん、術とはいっても「どうすれば良いのか」というHow toはありませんし、もちろん、見たこともありません。
只々奇声を発するのは、いくらでもありますが、それでは相手を制するにはなりません。
試行錯誤の末、ここで気づいたのが「相手に届く」という、これまた目に見えない現象です。

もう一つ決定的な事があります。
具体的に私の体重は60㎏、身長163㎝です。
そして、年齢は69歳です。
その私が、身長2m、体重120㎏以上の男性を投げられると思いますか?
私が技を仕掛けると相手は転げます。
それは「触れる」という技術があるからです。
相手にこちらの攻撃の意図を感じさせないという「触れる」です。
倒された人は、何故か笑っています。
「どうして?」

それを違う角度から言えば、「相手に違和感を与えない」触れるだということになります。

医療であれ治療であれ、介護・看護であれ、そして、武道であっても、そこには共通点が2つあります。

一つは、相手や敵は全てが不確定である。
一つは、言葉であれ身体の接触であれ、直接的な関係がある。

つまり、どういった技術を使うかを抜きにして、実際的にどんな人なのかが分からないということと、直接作用する「関係」という、目には直接見えない代物があるということです。
もちろん、これは日常でも同じです。

そして、もう一つ絶対に外してはいけない要素があります。
それは、各個人は異なる、つまり、個人差個体差があるということです。

例えば、武道で言えば、こちらが刀を持ち相対したとします。
そして、約束として相手は刀でこちらの胴を突くとします。
その相手、AさんBさんCさんは同じ動作をしますが、それぞれの体格や運動能力、性格他諸々の要素が異なるので、決して同じ胴を突くにはならないし、同じタイミングでは突いてきません。

同じように、AさんBさんCさんが「腰痛」だと訴えたとしましょう。
もちろん、みなさんは専門家ですから体験的に、同じではないと知っているでしょう。
この、それぞれが異なる、という点が、結果を確かなものにしません。
ですから、こころある医療関係者、治療家・介護・看護職のみなさんの持つ技術を不安にさせるのです。

実は、この個人差個体差があるというのは、片側だけの問題ではなく、こちらとの関係性も鍵を握っています。
AさんBさんは、治らなかったがCさんは治った。
あるいは、全員治った事もある、という確実性の無い結果を生んでいるのです。

これらを単純化して言えば、あの人とは相性が良かった、悪かった、苦手な人だというような、こちら側の持つ先入観や固定観念、あるいは、好き嫌いという趣向が、確実性の無い結果を生み出すということです。

では、今よりも良い結果、より100%に近い結果を生み出し、受ける皆さんから感謝してもらえるようになるには、どうすれば良いのか。
患者さんの笑顔を見たい、喜ぶ顔が見たい、その事が医師として、また治療家として、医療従事者としての喜びである、という思いを実現するにはどうすれば良いのか。

自分自身の技術の問題は別にして、上記の2つの問題に着目し、それを解消していけば良い、ということになります。

但し、ここが問題です。
この2つの問題は、試験の問題ではないということです。
そして、誰にでも分かるように目の前にあるのではありません。
自分自身がこの2つの問題を持っていると、「こころが認識する」必要があるのです。

つまり、自分自身をグレードアップさせるという事、それ自体が解消の答えなのです。

そしてその事が、あなたの望む結果を生み出すことになるのです。

北浜で道場を開き、そこで求めたのは「本気」だと書きました。
本気であるからこそ、様々な感覚が覚醒し、判断を超えて自分自身を護るし、結果として相手と関係出来てしまうのです。
では、本気とは何でしょう?
それは理解ではなく、こころの欲求なのです。

自分自身に「本気」で向き合って欲しいのです。
本気は相互にこころの「饗感」を生みだします。

みなさんは非常に尊い職業を選んだのです。
であれば、尊い自分自身になって欲しい、しかし、現在のあなたは望まないかもしれません。
それは、関係性の扉、感覚の扉が開いていないだけなのです。
その扉を開くのは、あなた自身であって、私や方法や技術ではありません。

北浜の道場を開く4年ほど前、インドを旅行しました。
ボンベイの街です。
有名な寺院を訪ねようと、街をウロウロしました。
ある場所で多くの人が路上に座って並んでいる光景が目に入りました。
何をしているのか分からなくて、片言の英語、身振り手振りで聞きました。

それは診療所で診察待ちの人達だったのです。
中には赤ちゃんも、子供もいます。
私は思わず泣き叫ぶ赤ちゃんに手を出しました。
抱きかかえるお母さんは、何やら私に話すのですが言葉は何も分かりませんでした。

赤ちゃんを観察すると頭に熱を感じ、背中に違和感があることを感じたので、直ぐ様それを取り除きました。
ものの5分位でした。

赤ちゃんは泣き止んだので、お母さんは驚き私に手を合わせてくれました。
それを見ていた周りの人が、私に手当を求めてきたので、数人手当をしましたが、キリがないのでその場を去りました。

イタリアでもドイツでもフランスでも、そういった体験はいくらでもあります。
もちろん、現在も続けています。
つまり、このことに関しては国境はない、そこを証明したいから、そして民族の差異はないということを実感したいからです。

そこにあるのは「本気・饗感」です。
「思わず〜する・饗感」です。
その事が、多くの人の救いになるのです。
そして、あなた自身が誰からも信頼される医療従事者になっている姿です。

そんな自分を作って欲しい、そんな治療家になって欲しい。
その願いが、「明鏡塾」を起ち上げた動機の一つです。

(日野晃)


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