【触れる】の大きな可能性を知る

touch
左が塾生、右が日野晃の【触れる】

明鏡塾では、さまざまなワークの前、後にこのように背中に触れて検証をします。

触れ方に技術があるわけではなく、触れる部位に指定があるわけでもありません。

シンプルに、触れられた側がどう感じたのか、感覚を全開にして触れた側に伝えます。
まず触れられて違和感があるかどうか、それがポイントとなります。

上記の写真は左が塾生、右が日野晃です。
この塾生に限りませんが、触れられた時に、
「中途半端に探っているような感じを受ける」「手が緊張していて圧迫感がある」などの感想がよく出ます。違和感があるのです。

一方、日野晃が触れると「一体感を感じて深いところから気持ち良さを感じる」「手指に明確な存在感を感じて安心感がある」「触れた部位だけでなく、全身がゆるんでいく」という感想を述べます。

明鏡塾の塾生はほとんどが「人に触れるプロ」ですが、武道家・日野晃との違いにショックを受けます。”触れる”がこんなにも差があるなんて…、そして無意識のうちに、患者さん、お客さんに違和感を与えていたことに背筋が寒くなります。

ワークのあと感触が劇的に変化する

しかし、ワークを行い、日野晃の言葉に刺激を受け、塾生同士が話し合った後に、再び最初に触れた相手に触れてみると、大きな変化が生まれます。

「違和感がだいぶなくなった」「他の部位にも反応を感じた」「落ち着いた感じがした」など、感想は良い方向に変わっているのです。

手の置きどころを変えたり、力加減を変えたりと意図的な変化はつけていません。
それでも変わったのは、塾生が変わり、相手との関係が変化したからこそ、感触が変わったのです。

技術は大切です。
しかし、対人関係という土台の上に、技術が使われます。患者さんに信頼されなければ、技術は受け入れてもらえません。

そして、その信頼は言葉による信頼ではなく、身体・無意識の領域で信頼でされなければなりません。
塾生たちは受講するたびに、そのことを身に染みてしり、自分の現場に立ち戻って修練を重ねています。

明鏡塾・体験セミナーを開催します

12月13日(日)
午前10時〜午後4時30分
東京都文京区内の会場
(お申し込みの方にお知らせします)
受講費:1万5千円

講座内容とお申し込みはこちらから


その「技術」で何をしているのか、分かっていますか?

【日野晃の言葉】
医師や理学療法士にしろ、様々な施術師にしろ、全て「技術」である。

もちろん、介護も看護も技術である。
そこに様々な心理や感情、思考等が絡まり、全人的な作業となっている。
これらそれぞれの技術、例えば「注射を患者にうつ」という作業であっても、それは技術だ。
だから、上手な人、つまり、痛く感じさせない人と痛いと感じさせる人がいる。
それが技術の差だ。

そこにはマニュアルがあり、そのマニュアルにそって作業を行う。
「患者の腕に注射をうつ」場合は、それほど多くの手順はない。
しかし、「患者の腕を持つ」ただ一つの言葉だが、そこには例えば「持たれる患者への気遣い」という
ある種経験値的な技術が含まれている。
要は、この一語に表されるものが、実は一番重要な要素であり技術なのだ。

というのは、人は10人よれば10通りの感情や気持ちを持つ。
また、その人の状況も10通りだ。
そんなことは、誰から聞くまでもなく、知っている筈だ。
その10種10通りの事に対応できるから技術と呼ぶのである。
例えば、時計を組み立てる職人、高級寿司を握る職人、宮大工他、様々な職人さんがおり、
そこには棟梁とか花板とか呼ばれるトップの人がいる。
その人達は、達人だ。
技術の達人なのだ。
少なくとも、それと同等、あるいは、それ以上の技術を要求されている職業だという自覚は、医療従事者・関係者にあるのだろうか。
高校卒業の、あるいは、専門学校卒業、大学卒業をした自分の延長線上に、その技術は無いということに気付いているのだろうか。
当たり前のことだが、それらはマニュアルを知るだけのところで、実践、実際ではない。
何一つ技術というレベルには到達していないと気付いているのだろうか。

「自分が何をやっているか」「やれているか」
を知らない人が多すぎる

「明鏡塾」を2期続けている事で、どうもそういう自覚を持たないのではないか、という事に気付いてきた。
それは、余りにも自分の「やっていること、やれていることを知らない」事だ。
「やっていること・やれていること」を知っているから、それをどうするのか、というところで、その技術を向上させる事ができるのであって、それを知らなければ向上も何も幻想に過ぎない。
ある男性が「混乱して」と言う。
私は「考え方」を教えているのだから、そこに自分を当てはめていけば混乱など起こらない。
人は他人の話を聞いていない、ということを、つくづく体験させて貰う。
もちろん、それは武道の教室を見ていても同じだ。
生きているのは「自分」である。
そして、生きるという行動をしているのも自分である。
その自分が「何を行動しているのか」を「頭では知っている」だろうが、その「実際を知らない」。
つまり、自分自身が患者に対して行っている実際を知らないとはどういうことだ?


医学的知識と現場のギャップ

【日野晃の言葉より】

明鏡塾に関するブログ記事からの抜粋です。

「明鏡塾二期生」には、外科の医師も受講している。
「武禅」には臨床心理士も常連として受講している。
ひやかしや興味本位ではない。
自分たちの持っている医学の知識や、現場での体験。それらに潜むギャップを体感しているからだ。

医療の現場とは、それこそリラクゼーションや足裏マッサージから、救急救命センターや生命と真っ向から向き合わなければならない現場まで幅広い。
しかし、そこに歴然と共通している、最も重要な事がある。
それは当人との関係性、そしてご家族との関係性である。
その事に気付いた医師達を始め多くの人が受講してくれる。

それは何故か。
そんなセミナーも掃いて捨てるほどある。
しかし、どうして「明鏡塾」や「武禅」を選んでくれるのか。
それは「本当を体感し、それを自分自身の知恵に変えていく」だからであり、知識を学ぶのではないからだ。
いくら分析しようが、そのことを解析し説明しようが、それらは単なる言葉であり、それは知識として頭に入るだけである。
何時も書く「頭を満足させているだけ」だ。
また少々の体験という知識では、全く意味がない。

つまり、実際に使おうとした時、そこに自分自身の姿勢が「関係性」に向き合っていない、あるいは、患者さんそのものと向き合えないから使えないのだ。
それが生命と真っ向から向き合わなければならない現場である。
もしも、知識という体験でそこはクリア出来るという医師がいるなら、その医師は信用しない方が良い。

「生命」を軸にして、医師やその周辺に位置する人達とワークをするのは楽しい。
リアリティがまるで違うからだ。

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