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”自分の専門家”になれよ

「顔を見たら分かるやろ」とか「身なりを見たら分かるやろ」は、少し難しい面もある。
それはある種の固定観念が生まれるということも有るからだ。
もちろん、その固定観念で通用する事もあるが、通用しないことも沢山ある。
その意味で、その「顔を見たら」を研ぎ澄ませていかなければならない。

昔の医者や鍼灸師は、それこそ易者ではないが、顔を見て病状や病気を特定した人もいた。
母が胆石で七転八倒の苦しみを味わっていた時、鍼灸師のおっちゃんが治したのを覚えている。
今なら、即入院で手術というところだ。

そんな名医が巷には沢山いた。
もちろん、怪しげな祈祷師もいた。
しかし、それはそれで治る人もいるのだから、いわば住み分けが出来ていたのだろう。
そういった名医たちは「見えていた」のだ。
何がかは分からないが、全てが見えていたのだろうと思う。
もちろん、その状況で、という条件が付く筈だが。

それこそ、魚屋さんは魚の顔を見たら、色々と見えるのだろうと思う。
宮大工さんは、木を見たらどこに使う木か、あるいは、使ってはいけない木か、どう切らなければいけないのか、等々が、寸法や設計上ということではなく、見えるのだろう。
そういった専門職の人達と同等の眼力を、全ての専門職の人には持って欲しいと思う。
「見たら分かるやろ」これがなければ、何に頼るのだ。
医者ならデーターだろうし、一般では理路整然というようなことだろうか。
どうして、自分以外の機械や世間の価値観に頼るのだろう。
自分が社会を歩いている、人生を生きている、という中で自分を培えば良いだけなのだが。

【日野晃のさむらいなこころ】
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