「人生に必要なものは」

人が生きる上で、人生を歩いていく上で一番大切なこと。
それはなんだ?

その事に真っ向から突っ込む。
突っ込むのに必要なもの。
それが「勇気」である。

どうして勇気なのか?
良い意味でも自己否定が含まれるからである。
いわばパンドラの箱を開けるということでもある。

ここには、それぞれの答えがある。
ただ、老婆心的に一つの灯台としていうならば、「誇り」があるかないか。
「志」を持っているのかいないのか。
その事だけが、人生の軸になり得るのだ。

「方法」をいくら持っていても、それは張り子のトラと同じである。
「方法」は時代とともに色あせていくからだ。
それこそ、人を人たらしめるのは「開いたこころ」を持つか否かである。
それでしか、人という種はこころを饗感しあえないのだ。

 

「一体、医者というのは何なのでしょうか?
医療行為ができることが、医者を医者たらしめているものなのでしょうか?」
http://blogs.yahoo.co.jp/gtyff320/14761045.html

これを書く彼は外科医である。
しかも、こころある外科医だ。

「明鏡塾」に集う人達には垣根が無い。
外科医・内科医・理学療法士・鍼灸師・整体師・看護師……。
それぞれの垣根を超えることの出来る「思い」を持ち、「志」を抱いた人が集ってくる。

そして、患者さん、あるいはクライアント、またその家族、周辺の人々。
そういった人達の幸せの為に尽力を尽くす。
そこに喜びを感じる人達。

垣根を超えた協力が、新たな「方法」を生み出し、新たな「世界」を切り開いていくだろう。
それを創り出す核になれたら幸いである。

と考えているのが「明鏡塾」である。


「全ては自分次第」

『武道の達人、伊藤一刀斎は師鐘巻自斎に対して「先生わたくしは剣の妙機を自得しました」と言い放った。自斎は大いに怒って「未熟者が何をいうか」とののしったが、かれは平然として「しかし先生、妙とはこころの妙である以上、みずから悟る外はないではありませんか。決して、師から伝えられるものではないと思います」と抗弁し一歩も譲らなかった。』と書かれてある。

当初、そうでもあるだろうし、しかし違うかもしれないと思っていた。
しかし、この年令になると、それしかないだろう、と確信している。
それしかない、というのは「学び、創造する」という、人そのものの能力のことだ。

先日の「明鏡塾」でも、そういった話を少しした。
理学療法的治療を教わる、あるいは、整体としての技術、鍼灸としての技術を教わる。
それを実際として使うのは、教わっている当人だ。
そして、教科書から実際への橋渡しをするのは当人だ。
教科書に書かれてある抽象を具体に転換させるのは、間違いなく当人でしか無い。

その「転換させる」という作業の積み重ね、そこでの創意工夫は、全ての人で異なる筈だ。
それは、その教科書の抽象をどう解釈したのか、あるいは、どう患者さんの身体に触れているのか、どの程度の圧力なのか、全員違うということだ。
それぞれの創意工夫の結果、教科書はある種実践化されるのだ。
創意工夫という時点で、それぞれの当人のものになっているのだ。
教科書を踏み台にして、当人が作り出すものなのだ。
そういった事を考えていくと、どんなことでも同じだと言える。

但し、ここで最も重要な事は、「自分は何者なのか」という設定の有無だ。
そして、その「何者は何を成すのか」という理想を持っているのかである。
何者も、何を成すのかも持たないで、何かを習っても一切自分の身には付かないのだ。
ただ世間に流されて医療関係に来た。
何もすることがないから福祉の世界に入ろうか、手に職を付けたら食べていけるだろう。
程度の動機で医療の方面に来たのなら、それは患者さんや介護される人に迷惑極まりないばかりか、一つ間違えばそういった人達の人生を狂わしかねない。
そういったリスクも認識した上での、職業選択だ。
もちろん、そのことも自分自身が形成するものである。
そういった人としての根本的なところの重要性を基本としているのが「明鏡塾」である。


「時代は進化と共にある」

世の中は、日進月歩です。
もちろん、このAIとロボットが最終的な姿で無いことは、誰にでも想像できると思います。
どこまで進化するのか

現在の整体や、様々な治療法、リハビリはこういった形に変化するでしょう。
現に、私が10年間関わっている特養では、このロボットを導入し、かなりの成果を上げています。

また「誰にでも出来る」と謳っている治療法はロボットで事足りるということになります、つまり、ある症状にはポイントがある、という考え方ですから、それをAIに記憶させれば可能だということです。

そんな世の中で、人の必要性、人の可能性はどこにあるのでしょうか。
医療従事者は、そんなことを考えた事があるのでしょうか?

「明鏡塾」は、まさにそこに焦点を当てているのです。
そして、方法ではなく、その人そのものの成長が、AIとは一線を引いた医療を提供していくのです。

そこのキーワードは「関係」です。


明けましておめでとうございます

「明鏡塾」のみなさん、新年明けましておめでとうございます。
新しい年が明けて、受講生のみなさんの気持ちも引き締まっていることと思います。

「明けましておめでとうございます」
道行く人に挨拶をしましたか?

そんな些細なことの積み重ねが「自分」です。
日常の中にこそ稽古の種、探求心を育てる種が溢れる程あるのです。
逆に、多くの教室やセミナー、ワークショップ中には、「答えもどき」しかありません。

自分にとって大事なことは、「問題を見つけ出せる目」です。

今年も、色々と問題を見つけていきましょう。

本年もよろしくお願いします。


質ということ

「明鏡塾」で色々なワークをするが、そこには共通項がある。
つまり、その共通項をして、全部同じものを角度を変えてやっているということだ。
それは、異なった実際の作業から、共通項を見つけ出す視点、あるいは、発想を獲得して欲しいからである。
そして「質」ということを体感して欲しいからだ。
言葉としては、それらはどこにでもあるが、実際として自分自身の手で獲得する、獲得できるというプロセスは無い。
知らない技術を知ることで、獲得できることがある。
しかし、そういう話ではない。
自分自身の質を、自分自身が向上させていく。
自分自身を向上させていく。
そういったことが「明鏡塾」の本文である。

現在4期になり、相当受講生の密度が濃くなっている。
若い人、年配の人が、相互に関わり合い、尊敬しあっている事が嬉しい。
俗にいう「こころが開いている」状態だ。
こういった垣根を超え、年齢やキャリアを超える集いが、私の理想でもある。

どうして垣根も年齢もキャリアも超えるのか。
それは、フォーサイスカンパニーという世界一のContemporaryDanceのカンパニーを教えていた頃からあった。
何故垣根を超えるのか?
それは、誰にもできないので、全員フラットになれるからだ。
つまり、「出来る・出来ない」という価値の中で行っているのではない。
出来る・出来ないを目指した塾ではない、中身ではないということだからだ。
自身の向上、自身の成長が結果としての目的だからである。


なんとかしなければ、が行動を創る

大阪教室に通い、自分でも道場を持つ空手の先生からメールが入った。
現在の仕事は、アミューズメントでの救護的なものだ。
そこで働きだして2日目のトレーニング中に、アクシデントが発生したそうだ。

現場に駆けつけてみると、てんかん発作と思われる男性が、口から泡を吹き倒れていた。
場所からすると、頭を打ち付けていたようで、意識も朦朧としていました。
現場を見た瞬間は凄く焦ったが、周りの状況が慌ただしく騒がしかったので、逆に冷静になれたのです。
男性を寝かせたまま首の後ろに腕を入れ、しっかり抱きかかえると、何故か大丈夫な感じがしました。
そこで「大丈夫ですよ、分かりますか、落ち着いてきましたよ」等と救急隊が来るまで声をかけ続けたのです。
すると痙攣が治まり「あなたのお名前は」と言った時に男性の意識が戻りました。

彼女はここに書いてあるように、救護の仕事だが、その救護に関してはずぶの素人だ。
つまり、何一つ技術を持たないということだ。
しかし、「男性をなんとかしなければ」という意志が働き、丁寧に触れた、その事が男性を救ったのだ。
「なんとかしなければ」という意志が、関係を生み、それが良い結果を生んだ一つの例である。


名医は「関係が大事」だと知っている

心臓外科の名医と言われる方がTVで紹介されていた。
インタビューの中で「患者さんはどうして病院に来るのかというと、不安があるからです。まずは、その不安を取り除く事が大事です。専門的な説明も大事ですが、その前に関係です」とおっしゃっていた。
なるほど、名医と言われる方は、そう言われる人なのだ。
回診では、全ての患者さんと丁寧にお話をされていた。

たまたま、昨日同様の話しを耳にした。
イタリアで乳がんの権威と言われた人が亡くなり、前代未聞の大規模な葬儀が営まれたそうだ。
その医者も、同じ様に全ての患者さんの顔に触れ、丁寧にお話をされる人だったという。

そういったことは、いわゆるコミュニケーションテクニックではない。
つまり、思ったから出来る、学んだら出来る、そう意識したら出来る事ではない。
その人が、そうだと自覚しなければそうはならないのだ。
いくら「関係性」を学んでも、その場でしか出来ないのであれば、全く意味がない。
それが「思ったら・意識したら」という事の実際だ。
「自覚」とは、それ程軽い言葉ではないということだ。
先日のトークライブで話した「気付き」と同じである。