日別アーカイブ: 2017年5月3日

【明鏡塾第4期 まとめ】

「明鏡塾」を手伝ってくれている若い理学療法士が4期をレポートしてくれています。

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今月から明鏡塾第5期がスタートしますね。
4期の雑感を少しまとめてみました。

なんどか書いていますが、明鏡塾の場は4期に入って加速的に集中された空間が作り出されるようになりました。
それはワークに取り組む塾生一人一人の集中が作り出すものですが、なぜ「集中」されやすくなったのか。
あるいは「集中」が持続するのか。
何かに集中するのは、ある意味何も考えずに、ひとまず先生がデモしてくれたそれを真似てみる。

真似ることには、綿密な観察が必要であるし、形を真似るには、自身の姿勢や動きにも気を払わなくてはならない。
そういったことが「集中」を作る。
そして、集中して得た体感から、様々な工夫をこらし、その体感がどのように変化するかを実験・検証する。
そのことが「集中の持続」を作る。
考え込んでしまうのは、ワークの意味や、出来た・出来ないに捕らわれ過ぎるのが原因だろう。
考え込むのは一見集中されたように見えるが、それは止まっているだけであり、重い空気が流れる。

明鏡塾4期は特に、集中された場になった。
それは明鏡塾に参加している塾生のレベルが上がっているというよりは、塾生のスタンスが確立されてきたと言えるのではないか。
それが場の成長に繋がっているのかもしれない。
何にしても回を重ねるごとに学べるものがより広く、そしてシャープになっているのは間違いないと思う。
そのワークに取り組むことが目的なのではなく、そのワークから自分自身の何を掘り起こす日を目的にしているので、得られるものは当然変わってくる。
その流れに乗れるか否かだけである。

少し話は変わりますが、先日私のリハビリ介入に同席した初対面の理学療法士の方に、「尾森さんの利用者さんは笑顔の人が多いですね」と言われた。

私は笑顔が大切だと認識しているが、笑顔になればいいのかと言えばそういうことではない。

その笑顔は何に対する笑顔なのかはその時々によって異なるし、何によって創発されたものなのかも異なる。
作られた笑顔もあれば、反応として生まれた笑顔もある。
また人は泣きながらでも笑っている時もあれば、笑いながらでも泣いている事もある。
笑顔にもいろんな色があるのである。
であるから、一口に笑顔と言うそれは、容易に対象化できるものではない。
もちろん、無理にでも「笑う」ことによって、心理的にも身体的にも変化はするので、そういった意味では「笑う」を科学的に捉えることはできるが、その笑顔がどういう笑顔なのかはこちらが主観的に察していくより他ないだろう。
「◯◯すれば、こうなる」という一つの図式だけで何とかなるのであれば、人間の「考える」という行為は必要ないではないか。
笑顔になれば、ドーパミンがというのは、笑顔と脳内の化学物質の関係を示しているのであって、決して笑顔については何も教えていない。
科学は、その事そのものを教えてくれるものではない。
物と物との関係を示すものなのだ。
具体的行動を取るときに方法は役に立つものであるが、方法は「意味」は教えていない。

目の前の人の笑顔の意味を、自分自身の知識の中にあることに変換するべきではない。
そのことに意味はないのだ。
きっと、その笑顔を味わってこちらが主観として捉えた「味わい」が、意味なのである。
まだはっきりとしたことは分からないが。

さて、笑顔の意味を知ることも、方法ではなく、主観として捉えるというからには、最も大切なのは「感じる」ということでしょう。
「感じる」という言葉は、憎いもので、近いようで遠い。
分かるようで、分からない。
ある種、捉えることが難しいものであると思います。
本当に感じている時というのは、そこに間違いなく言葉はありませんから、言葉としてでたそれは、「感じる」の一部分、あるいは知っている知識に置き換えられたものであります。
感じたことを言葉にするのには修練が必要ですし、苦楽があるはずです。
その作業を通して、言葉に出来ないものもあることを知る。
その「言葉に出来ないもの」が「感じる」の表れであり、私の場合は味わいという言葉を当てて、表現しています。
今はそうするより他ないのです。
味わいの中にも、タイプや違いを見出せれば、使われる言葉も変わってきます。
そのことによって、感じる主体と、言葉との間にある隔たりが小さくなるのです。そうすると、言葉が自分のものになってきます。
もちろん、そのことに意味があるのではなく、自分自身を成長させようとした時に、どのような言葉をどのように使うかということが重要になります。
言葉は大切なのです。その言葉の変化の背景には、「感じる」があるのだと思います。

4期の変化を違った視点から捉えると、いわゆる突っ込みや相手への感想が明確になってきていると言えると思います。
明確というのは、的を得ているということではなく、「何が言いたいか」がはっきりしてきたという意味です。
だからある意味で、「話す」や「聞く」というのが意識的に、あるいは無意識的にも変化しているのではないかと思います。
5期はどのようなことが起こるか、楽しみです。

明鏡塾は「直感」を養う数少ない場であると思います。
直感で得たそれこそ具体的なことであるのに、科学的捉えられる範疇のことではなければ、非常に抽象的なものとして捉えられてしまう風潮があります。
私の仕事の理学療法士業界などもまさにです。
だからこそ塾生が力をつけて成果を示していくより他は無いのだろうと思います。

時折、自分自身が「何をしているのか」と疑問を持ち、クラクラしてしまうこともありますが、地に足つけて着実に進んでいきたいと思います。

5期もよろしくお願いいたします。